『君たちはどう生きるか』の主人公・本田潤一は、「コペル君」というあだ名で呼ばれています。
- コペル君の名前の由来は?
- コペルニクスの地動説とは?
- 吉野源三郎の伝えたかった哲学とは?
このような内容を、ブログ記事にまとめました。
結論としては、コペル君の名前の由来は「地動説」を唱えた天文学者・コペルニクス。
社会は自分中心ではなく、自分は社会の一部分であるという「ある日の哲学的発見」をもとに、叔父さんが名付けたものです。
長編小説を1日で一気読みした筆者が、なぜコペル君と呼ばれるようになったのか、その理由とあらすじを紹介します。
主人公・コペル君の名前の由来は?
主人公・本田順一くんのあだ名は「コペル君」。
全編を通して、叔父さんにも友人にも、コペル君と呼ばれることが多いです。
※母親は「潤一さん」と呼びます。
当時のエリート家庭では、親が子供に「さん付け」で語り掛ける家庭もあったのでしょう。
コペル君とは、少し不思議な名前(あだ名)ですが、
由来はやはり、ポーランドの偉大な天文学者「コペルニクス」にあります。
コペルニクス君、を呼びやすくして「コペル君」という呼び名になったのです。
コペル君と呼ばれるようになったのはなぜ?きっかけは
15歳の本田潤一くんが、コペル君と呼ばれるようになったのは、なぜでしょうか?
きっかけは、叔父さんと銀座のビルの屋上に出かけた時。
主人公は、叔父さんと一緒に、東京のど真ん中の街並みを見下ろしています。
そして、こんなことを想います。
大きな建物が密集している銀座のど真ん中。
たくさんの車が行き交う道路。
人々はゴマ粒のように小さく見える。
あの建物の中では、何万人という人が働いている。
この銀座という町には、何十万、何百万という人がうごめいている。
昼の銀座と、夜の銀座。
海の満ち引きのように、都内に出てきたり、家に帰って行ったり。
自分もそのうちの一人なのだ。
※君たちはどう生きるかの原文とは、全然違います。筆者の中に残ったイメージです。
本田少年は、叔父さんに言います。
「人間って、まあ、水の分子みたいなものだね」と。
つまり、「世界は自分中心で動いているのではなく、自分は世界の一分子に過ぎないのだ」という発想に至るわけです。
叔父さんは潤一君の感受性の高さに少し驚き、コペルニクス的転回を感じます。
そして、尊敬の念を込めて「コペル君」と呼ぼうと、ノートに記したのでした。
コペルニクスの地動説とは何か?
コペル君について紹介していれば、自然と「コペルニクスの地動説とは何か」という疑問が出てきます。
誰もが学校で習ったことだとは思いますが…改めて聞かれると答えられなかったりして。笑
コペルニクスとは、ポーランド出身の偉大な天文学者として有名。
当時(16世紀)は、地球の周りを太陽が回っているというのが定説でした。
確かに、普通の人の目には、太陽が東から上り、西に沈むように見えます。
地球の周りを、太陽がぐるぐる回っていると考えるのは自然です。
ヨーロッパで力を持っていたキリスト教の聖書でも「天動説」が説かれていました。
しかし、コペルニクスは天文学の知見から、天動説では説明がつかない事象にぶち当たります。
そして「地球が太陽の周りをまわっている」とする地動説を唱えます。
地動説を唱えたコペルニクスは、キリスト教から異端とされ、捉えられ、最終的には処刑されてしまいます。
しかし、後年になって、コペルニクスの地動説こそ、科学的に正しいことが証明されたのです。
キリスト教の邪教性はいったん置いておきますが、誰もが疑わない「常識」であった天動説に疑問を持ち、自分の地動説を追求したコペルニクスは、偉大です。
吉野源三郎が「コペル君」に託した哲学とは?
『君たちはどう生きるか』の作者・吉野源三郎さんが「コペル君」という名前に託した哲学を読み取ってみましょう。
主人公のあだ名・呼び名に、大きな哲学的意図を感じますし、実際に叔父さんのノートには以下のようなことが書かれています。
地球が宇宙の中心であるという考え方をしている間、人類は宇宙の本当の姿を知ることが出来なかった。
同様に、自分が世界の中心であると考えているヒトは、世界の本当の姿を知ることができないのではないだろうか。
だから、潤一君が「人間って、水の分子のようだ」という発想に至ったことに、敬服する。
自分中心でなく、世界を客観視し、自分を客観視することの重要性。
そして、コペルニクスのように「世界の常識」「当たり前」とされることについて疑問を持ち、自分で考えて追及してみる精神の重要性。
「コペルニクス的転回」と呼ばれるような視座の変化が、生きていく上では大事だよというメッセージかと思われます。
作者が「コペル君」という名前に込めた哲学ですね。
まとめ
今回のブログ記事では、小説も漫画も大ヒットした『君たちはどう生きるか』の主人公「コペル君」の名前の由来について紹介しました。
結論としては、主人公がコペルニクスのような発想に至ったことを、叔父さんが尊敬して名付けたのが由来になっています。
潤一君と叔父さんとの会話の中で「人間は水の分子のようで、自分という存在も、世界の中のちっぽけなひとつだ」という考えに至った潤一くん。
自己中心的な世界の見方ではなく、自分は世界の一員にすぎないという見方をしてみることで、見えてくるものがある。
宇宙の真実の姿を、コペルニクス以外の人類は勘違いしていたように。
失礼ながら、
個人的には『君たちはどう生きるか』のストーリーはそんなに好きではなかったし、叔父さんのノートも偉そうで、説教的で、古臭くて、物語に道徳や倫理を持ち込みすぎかな…と感じたんです。
でも、なんとなく読後感は悪くない。
後に残るというか、考えさせられるというか…そういう小説でした。
コペル君という名前もインパクトがあるし、
15歳の少年が「自己中心主義」「全知全能感」を抜け出したことを、ある意味で大げさに称賛することで大事なことを伝えたかったのでしょう。
そして最終的には、この作品は「面白かったかな」という感想になるのが不思議です。